SIN'S LAB

技術系の備忘録

増え続ける本と仲良くする方法を考えてみる(第一回:はじめに)

目次

増え続ける本。でも、離れたくはない

 最近、私の蔵書はどんどんと増え続けていて、現在、385冊(+α:ブクログに登録していないもの)になっています(Sinの本棚 (Sin) - ブクログ)。

 と言っても、本当に大量に持っている方達とは比較にすらならないと思いますが。ですが、数自体に大した意味はないのですが、置き場所には困ります。

 ここで、別に置けるところにおいて置けばいいじゃないか、一度読んだ本でほとんど読むことがないなら捨ててもいいんじゃないかと思うかもしれません。
 確かに、身の回りに置ける場所が無いなら、押し入れなり物置などに置いておくしか無いですし、本当にどうしようも無い場合には捨てざるを得ない場合もあります。

並べられた(あるいは、近くに置かれた)本がもたらす効用

 ですが、(まあ、これは私のわがままでもありますが)本が”近くに置いてある”からこそ得られるものがあると考えています。

 もちろん、一度読んでほぼ読まなくなった本、とりあえず積んでおいて長い間放置され続けている本もあるのですが、ふと、視線を向けた先にあった積読本に目が留まって読みたくなったり、あるいは、そういえばあの本にこんなこと書いてあったなと思いだすことなど、そういった体験をしたことはないでしょうか。

 上記の様に例を挙げれば色々と出てくるかもしれませんが、つまり、”身近に”置いておくからこそ、読んでいない本からでさえ何か感じることや読んだ本がまた違って見えてくるというようなことが体験できるかもしれない(あくまでも、”しれない”ですが)という良さがあるということです。

 もちろん、人によって”本”に対する接し方は人それぞれで、電子書籍を主に読んでいる人、読んだ書籍は丁寧にノートを取るなど、必ずしもこのように本棚に並べたり、本を積み置くということはないかもしれません。
 ですが、私は、一度上記したような体験をしたために(あるいは、単に整理整頓ができないのか)、いつ崩れるかわからない積読タワーが出来上がっているという状況になっています。

必ずしも”綺麗に整理”することだけが良いわけではない

 こういう論争は既に色々あるような気がします。また、ここでは別にどちらが良いとかどうとうかではなく、私個人の体験であるというだけです。

 先述した積読タワーは、いつ崩れるかわからない、さらに言えば、下のほうにある本は取りにくくてしょうがないような状態で、加えて、図書館等のようにどのような本かで整理されているわけでもないため(ただ、私自身の興味によって集められたという点ではまとめられているとも言えるのですが)、場合によってはどこに置いたか分からなくなる場合もあります。

 しかしながら、そうした中で、一度、書店やECサイトなどで”出会っている”(つまり、発見した)本と、また再び出会うような感覚を得ることがあります。
 もちろん、綺麗に整理整頓されている場合でもそういうことはあるでしょうし、どこに何があるのかが把握しやすくあれば、より何かあったときに思い出したり、本を思い浮かべることもしやすいかもしれません。
 ただ、そこではあくまでも、そのように”綺麗に”並べた時の、指針(分類やジャンルなど)の文脈(とでも言えるようなもの)に合わされます。

 一方で、積読タワーや本棚に並べるというより詰め込まれた本は、そして、本同士は、一見なんだか無意味に置かれているように見えます(といっても、本当に無意味なのかもしれないですが)。
 ですが、私は、だからこそ、そこから文脈が生まれうると考えています。ここで、生まれうると書きましたが、それは、本同士が生むものでもありますし、あるいは、その置かれた本達を見ている”私の”文脈(または、その変化)をそこに見い出しているのかもしれません。

 そして、ある意味、見る角度、時、状況などによって、”見え方”が変わりうる要素が多いからこそ、そこに何かを感じることが多いのかもしれません。
 ただ、それは、宝物の山のようにいつも光り輝いているものでもないと思います(そうしたら、多分逆に見えなくなるものが多くなるでしょう)。いつも様々な文脈が生じたり、消えたりするからこそ、いつもあるような身近な存在でもあり、ふと気付くと何か光ったものをそこに見いだしたり、日々”見え方”あるいは”見方”が変わる魅力的な存在に思えるのではないでしょうか。

第二回へ続く(かもしれない)

 と、まあ、色々書いてきましたが、これが私が本が増える続ける中でも、なるべく身近においておきたいと考える理由(言い訳)です。

 ですが、少し触れたように、整理整頓にも利点があり、積読タワーにも欠点はあります。また、いつかは置く場所には必ず限界が来ますので、いつまでも今の状態を保てるわけでもありません。加えて、当たり前ですが、その辺の床に置いておくと本が汚れやくなったりもします。

 なので、どこかで整理整頓しなければならない、でも、”身近”ではありたい。こうしていくためには、どうしたら良いでしょうか。
 ただ、これもわがままなのですが、部屋の壁一面本棚にする余裕は(今のところ)ありませんし、そのようなある意味、私自身のスペース(やその他のもの)を捨てるといった強硬手段は取りたくありません。

 こういった点で、増え続ける本と”仲良くする”(私自身のわがままの方が多いですが)にはどうしていくか。これを当初はまとめていこうかと思っていましたが、色々思うことを書いていたら長くなってしまったので、とりあえず、ここまでにしたいと思います。

 そして、上記した仲良くする方法については、次の記事で考えたいと思います。ですが、かといって、何か良い方法を思いついているわけではないので、まとまりもないようなものになる気はしますが。



第一版作成:2019/9/24

デジタル、サブスクリプション、パーソナライゼーションからミラーワールドへ

はじめに

 この記事の目的は、専門的な記事でもなければ用語解説でもないということを始めに記しておきます。
この記事の内容は、雑誌「WIRED VOL.33」[1]を読んで思ったことを、さらに「サブスクリプション」[2]、最後の方では「感応の呪文」[3]といった文献や自分が関心の抱いていたことと合わせ広げたもの(あるいは、妄想といってもいいかもしれない)を書き留めたようなものです。
そのため、それぞれの用語の本来の定義とは外れた使い方をしている箇所などもあるかもしれません。

デジタル

デジタル化とデジタルコンテンツの普及

 これは、もうすでに当たり前のことになっているが、様々なものがデジタル化され、利便性や効率性はますます高まっている。
 また、デジタルコンテンツの普及によって、いつでもどこでも1つデバイスがあればアクセスでき、
膨大なコンテンツの中から手軽に欲しいものを探すことができるようにもなっている。

 そして、それらによって以前のモノ・コトへの私達の接し方は変化し続けている。その裏では様々な技術が生まれ、新しいものはもてはやされ、当たり前のようになったものは空気のように通常は意識されず、あるいはひっそりと潜んでいるものもあるかもしれない。

デジタルトランスフォーメーション

 こうしたデジタル化と併せて、私達の働き方、生活など、生き方そのものまでを変えて行こうとする動きも進んでいる。
 ここでは、デジタル化されたモノやそのための技術が主役ではなく、私達が主役であり、デジタルを支える様々な技術は当然のものとして存在している。
 目の前のモノが何が出来るかではなく、私達自身が何が出来るかが問題となる。

デジタルツイン

 そして、後述のデジタルへリアルを繋ぐ要素によって、デジタルを如何にリアル側で活用するかだけではなく、リアルの世界をデジタルの世界に”複製”することも可能になり、どんどんと進められている。
 リアルな世界の似姿を作ることだけが目的ではなく、複製することによってリアルな世界の特徴は持ちつつデジタルな世界に存在し、リアルでは出来ないことも可能にする。

デジタルへリアルを繋ぐ要素

IoT

 様々なモノはデジタル化によって多種多様な機能を持つようになった。また、私達ほど多様な感じ方は出来ないかもしれないが、愚直に正確に、また、時には私達よりも高精度に(リアルな)世界を感じ取ることの出来る”センサ”の普及が進んでいる。
 しかし、これらは、個別に見れば、「〇〇という目的を持っていて、そのためにこう利用できる」というなそれぞれに与えられた目的を果たすだけである。だが、これらが繋がり連携することによって出来ることが増え、複数のセンサが組み合わさった時、世界をより多面的に捉えることが出来るようになる。

高速通信技術とクラウドコンピューティング

 私達が手にするデバイスの処理性能はどんどんと上がっていき、また、最近話題の5Gや将来可能となるより高速な通信技術によって、そのうち誰もがスパコン並みの処理能力を手にすることも可能になるかもしれない。
 そして、より私達はデジタルの世界へと繋がることが容易となる。加えて、私達側にデジタル世界を構築するだけではなく、モノ同士は私達を含めた世界を様々な点からモニタリングし、より多くの情報が常にアップロードされていくようになることで、リアルをデジタルへ複製することも容易になる。

人工知能技術

(これは、現在人工知能技術と言われているだけであって、単に解析や処理技術と呼んでもいいのかもしれない)
 だが、集められた膨大なセンサデータや高速でやりとりされるデータを管理あるいは処理することは人間にとっては困難である。
そのため、人間よりもデータを扱うことに長けていて、人間の”代わり”にデータを分かりやすく私達に示してくれる、あるいは、使うことができるようにしてくれる技術は、最初は驚きをもって迎えられたとしても当たり前のように使われていくだろう。

xR

 そして、AR、VR、MRによって、当たり前のようにデジタルの世界を感じ取れるようになり、リアルとデジタルの境目は混ざり合っていく。
 その時、リアルでは固定的だった世界は、また、自分自身でさえも、複数の異なる存在をもち、それらを自由に切り替えることができるようになるかもしれない。そして、デジタルの世界は仮想ではなく、私達がリアルな世界で「ちょっと行ってくる」という感じで訪れることのできる”別の場所”として当たり前のように認識されるようになるのかもしれない。

サブスクリプション

 将来、モノへの執着を無くした人が増えていくかもしれない。
もちろん、モノを手に入れることもあるだろうが、「モノを手に入れること」自体の価値は減って行く。
(私の積み上げている本は今後さらに増えていくような気がするが)
 モノから体験へ、モノ自体ではなく結果を重視するようになっていく。そして、今まで、物理的なモノに依存しなくなった様々なサービスは、これまでよりも細分化され、多様化し、手軽に利用することが出来るようになる。
 その時、個人の状況や環境、あるいは気分によってでさえ、私達が必要とするサービスは、各個人に合わせてカスタマイズすることが可能になる。

パーソナライゼーション

 これから、より私達身の回り、そして、取り巻く環境までも自身が好むようにカスタマイズしていくことが可能となり、そして、自身に接触するモノやコトは自身に最適化された形で現れるということが当たり前になっていくかもしれない。
 そうして、個人個人、それぞれの世界といえるようなものを生み出していくかもしれない。これまでの全体的に考える世界では、ある人の最適は、他の人にとっての最悪であり、ある大きな集団での心地よさは、ある個人あるいは小さな集団にとっての地獄のようなものとして受け取られることは頻繫に起こっている。しかし、各個人に最適化された世界が、その個人を取り囲むように出来るのであれば、そうした問題は起こらないのかもしれない。
(この時、各個人に最適化された世界に各個人が閉じこもることも考えられるが、そうとは限らないと思う。これについては、また、どこかで触れたいと思う)

ミラーワールドへ

 デジタルとリアルの境目がだんだんと見えなくなりつつある今、そして、この先にミラーワールドが現れるのかもしれない。
 少し昔に、デジタルが生まれた時にはリアルと対立するものとして見られていた。
現在、それらは混ざり合うようになっている。そして、私達もその混ざり合った領域においても違和感を感じることは少なりつつある(のかもしれない)。しかしながら、まだ、現在では私達を取り巻く世界はリアル側(下図のオレンジ部分)に大部分があり、デジタルの世界は、リアルに取って代わる、あるいは、浸食するとでもいうようなイメージで捉えられているのではないか。
 だが、全ての存在が一対一でデジタル化されたミラーワールドでは、もはや、リアル、デジタルの区別はなくなり、ただ私達を取り囲む世界として認識されるのではないか(下図の右にある球体のように。あるいは、その中間にあるのかもしれない。全く別の可能性もあるが)。

デジタルとリアル、そして、ミラーワールド
デジタルとリアル、そして、ミラーワールド

リアル-デジタルの境目は”真に”無くなるのだろうか。その時、私達はどうなっていくのだろうか。

 以前、私達の周りには、原初の自然と共に生きる環境があった。そこでは、人間と他なるものの世界という対立関係ではなく、あくまでも、全ての中の1つとして人間の世界があるだけで、その境界は曖昧で溶け合っていた。しかし、そこから、人間は人工的な環境を作り出していき、その中に人間の世界を作り、人間と他なるものを分けていった。そして、さらにそこにデジタルという新たな環境、人間にとっての新たな世界を作りだした。
 加えて、現在、あるいは、この先に現れるミラーワールド、また、更にその先に現れるかもしれない新たな環境、そこで生まれる人間の世界はどのようなものとなるのだろうか。
 そこでは、リアル-デジタルの境目は無くなるのだろうか。
また、その時、人間自身、人間同士の境目はどうなるのだろうか。何が自身を定義し、他人と分断させる、あるいは、繋がらせるのか。
 新たな繋がりが生まれ、分断は無くなっていく(少なくとも、減っていく)のだろうか。あるいは、更なる分断が起きていくのだろうか。
 これに明確な解は得られないとも思う。特に、良いか悪いかという判別は困難であるし、そのどちらにもなりうる。結局は、私達自身が、自身の世界をどう捉えるかという問題だけなのかもしれない。

 だが、その世界にいるのは”私達”だけであろうか。

 先に書いたように、”私達”が(今はまだ)住むリアルの世界は、はるか昔、その世界全てが”他者”だったのかもしれない。だが、”私達”は私達自身を私達自身が作り出した世界によって、囲っていくことを(主には)選択していった。そういう意味では、”私達”は自身の世界に閉じこもってしまった孤独な存在であるとも言えるのかもしれない。
 この先、私達は、さらに私達が作り出したものによって作り出された世界に入り込んでいき、”他者”達を必要としなくなるのだろうか、そして、二度と思い出すこともないのだろうか。
 それとも、新たな”他者”を生み出すのだろうか。あるいは、いつか出会うのだろうか。
(私は後者にちょっとした期待も抱いていて、また、それによってこれまでの”他者”達の重要性にも立ち帰るかもしれないと思っている)

参考文献

[1]
WIRED(2019)『WIRED (ワイアード) VOL.33 「MIRROR WORLD - #デジタルツインへようこそ」,プレジデント社

WIRED (ワイアード) VOL.33 「MIRROR WORLD - #デジタルツインへようこそ」(6月13日発売)

WIRED (ワイアード) VOL.33 「MIRROR WORLD - #デジタルツインへようこそ」(6月13日発売)

[2]
ティエン・ツォ, ゲイブ・ワイザード 著, 桑野順一郎 監訳, 御立栄史 訳(2018)『サブスクリプション -「顧客の成功」が収益を生む新時代のビジネスモデル』,ダイヤモンド社

サブスクリプション――「顧客の成功」が収益を生む新時代のビジネスモデル

サブスクリプション――「顧客の成功」が収益を生む新時代のビジネスモデル

[3]
デイヴィッド・エイブラム 著, 結城正美 訳(2017)『感応の呪文 -<人間以上の世界>における知覚と言語』,論創社,水声社

感応の呪文―“人間以上の世界”における知覚と言語

感応の呪文―“人間以上の世界”における知覚と言語

[4]
(2019)『ミラーワールド:ARが生み出す次の巨大プラットフォーム』,https://wired.jp/special/2019/mirrorworld-next-big-platform(2019/9/21アクセス)
wired.jp

[5]
『コレ1枚で分かる「『デジタルトランスフォーメーション』の真意と『デジタライゼーション』との違い」』,https://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1901/08/news007.html(2019/9/21アクセス)
www.itmedia.co.jp

[6]
三島一孝(2018)『いまさら聞けない「デジタルツイン」 (1/2)』,https://monoist.atmarkit.co.jp/mn/articles/1808/08/news043.html(2019/9/21アクセス)
monoist.atmarkit.co.jp

[7]
atsushi(2019)『エッジAIとは何か』, https://camp.isaax.io/ja/tips-ja/what-is-edge-ai(2019/9/21アクセス)
camp.isaax.io


第一版作成:2019/9/21

【作業メモ】ELANで使うためにafconvertでmp4からwavを作成する(Mac)

はじめに

この記事ではMac(OS: Mojave)を対象としています。
内容としては、ELANの使い方ではなく、ELANで必要となるwavファイルをmp4ファイルから作成するための備忘録です。
(ELANについては[1]や[2]を参照)

説明しているのはターミナルからafconvertを使って変化する方法の流れのみです。

また、変換方法は以下のサイト[3]を参考にさせて頂きました。
qiita.com

afconvertを使った変換

以下のコマンドを使います。
(コマンドのオプションは参考にしたサイトからの内容のままです)

afconvert -f WAVE -d LEI24 〇〇.mp4(変換したい動画ファイル) □□.wav(変換後ファイル名)


非常に大雑把な説明ですが、以上です。
※変換したwavファイルがELANで利用できることは確認しました。
(各詳細については各参考文献を参照してください。もし、内容に追記等が必要な場合は更新していきます)

参考文献

[1]Max Planck Institute for Psycholinguistics『ELAN』,
https://tla.mpi.nl/tools/tla-tools/elan/(2019/9/8アクセス)
[2]細馬宏通(2012)『-ELAN即席入門- とにかくELANを使ってみよう』,
http://12kai.com/elan/(2019/9/8アクセス)
[3]@peroon(2016)『MacのTerminalでafconvertを使ってm4aをwavに変換する』,
https://qiita.com/peroon/items/a1673913127fcdbb2338(2019/9/8アクセス)
[4]@fromage-blanc(2017)『【OSX】afconvert【音声ファイル変換】』,
https://qiita.com/fromage-blanc/items/32e2ba83b79151e5ecb9(2019/9/8アクセス)

メモ書き #10

現在の人工知能についての(傍からみた)見方

現在、人工知能に対しての人々の捉え方は以下のようなものになっているのではないかと思う。

捉え方
脅威 仕事を奪われる、反乱するなど、人工知能が人間を凌駕し、そして大抵はその人工知能が人間にとっての敵対者となるというような見方
過剰 期待やブームが膨れ上がることで起こる将来性の話なのに実際今存在しているかのように話が膨らんだり、都市伝説的に捉える見方
ブーム 人工知能搭載○○」や人工知能をビジネスにどう応用するかなど、(もちろんそれだけではないが)いかに実用化できるかというような見方
期待 人工知能によって社会はこう変わっていく」など、人工知能、また関連する様々な点も含めて、応用や将来に対する希望を描く見方
冷静 「そもそも、人工知能とは」など学術研究観点の見方(これがそもそも人工知能のはじまりから取られてきた見方)、あるいは、人工知能について脅威にも、過剰にも、また、悲観にもならず考えていこうとする見方(期待に近い部分はあるかもしれない)
悲観 人工知能は盛り上がっているけどそんなに使えるものではない」、「これ以上将来性はない」とか(どのような立場から見るかによっても変わるが)人工知能から離れようとする見方
対抗 (もちろん、これは極端な例だが)人間を改造することなどによって人工知能に打ち勝とうというような見方

メモ書き #9

 良いことや成功事例など自分自身が心地よいものを集めて参考にすることは有益であるけれども、それらを何も考えずに一般化して自分の見ている世界に当てはめてしまうのは自分にとって損どころか、相手に対しても損を与えうる。
 なぜなら、その心地よいと思ったことは、既に自身からみた心地よいというものであるだけで、はたから見れば全くそうは映らない(ことの方が多いかもしれない)
 しかし、そういったものを共有することさえも避けるべきであるとは思わない。誰かに受け入れてもらうことは嬉しいことであるし、逆に他の人の心地よいものを受けいれることもまた自身にとっての心地よさを生み出すかもしれない。

 だけれども、そうでないのもたくさんあるはずで、それが全体の過半数を占めていようがいまいと、それらは紛れないもない誰かの心地よいものであるはず。
 そう考えてみると、例え、心地よくはない、あるいは醜悪なものだと感じても、それが世界を二分したものではなく、自分にとっての心地よいものに対して、あるいは自分が依拠しているある基準から、あくまでも見たものだということを心に留めておく必要がある。それは自分にとっては到底受け入れられないものであっても誰かには受け入れられているものなのかもしれない。

 だが、ここで注意が必要なのはだからといって、何が何でも受け入れればいいのか?ということであり、私はそうではないと思う。自分自身を消してまで受け入れなければならないものは、それが世界全体で心地よいとされていても、自分にとっては紛れもない害でしかない。また、ある程度、みんなが共通して心地よいと思えるからこそ、守れるものもある(その範囲をどこまで適用するかにもよるが)。さらには、どうしてもどちらかを取らざるをえないような場合も存在しうる。

 ここで問題となるのは、受け入れなかったものに対してどう対応するかである。これは各々の自由である。しかし、醜悪なものが見えた時に、反射的に目をそらしてしまうことや跡形もなくなるまで叩き壊すことは、とても簡単であり、何より自分の心地よさの現状復帰には即効薬かもしれない。だが、そこでそれは自分の心地よさの現状復帰への強い欲望が見せた幻影であるのか、あるいは、防衛反応であるのか(前者は、上記の意味で、後者は前途の自分自身さえ壊してしまうような場合をここでは指すことにする)を問うこと、そして、そもそも目の前に現れたものは一体なんであるのかを問うことも必要ではないか。
 だがしかし、これはそう簡単なことではない。(こんなことを書いてきた本人でさえ)現状復帰への欲望が強すぎるのか、防衛反応が上手く働いているのか(働き過ぎているのか)。どうしても問うことを忘れ、それらに身を委ねてしまうことが多い。

 でも、ここで問うのを強制することを進めたってどうしようもないのかもしれない。様々な心地よさを個々人が持つ中で、そもそも、自分の心地よさが(ある程度)満たされていなければ、問うという気力すら起きないかもしれない。
 
 だからこそ、いま必要なのは、何が心地よくあるべきかとか、問わなくてはいけないというようなもの(ここでも一般化して当てはめてしまっている)など、原因を見つけるだけの対処療法ではない。まずは自身の心地よさを見つけられる、そして、満たすことができる環境であること、それを踏まえて、問うまでいかなくても、頭の中に浮かべられるような余裕を持つことができるようになることが必要なのではないか。そもそも、原因を見つけたとしても、それは(問題として捉えるのであれば)解決できる問題ではない、つまり、答えのない問題ではない、最初に戻るがそもそも自分自身の心地よさであり、それが無数に存在するのだから。

メモ書き #8

伊藤計劃さんの作品について(書評ではない)

伊藤計劃さんの作品で初めて購入したのは、『メタルギア ソリッド ガンズ オブ ザ パトリオット』(角川文庫)角川書店(2010)であった。

この小説は、そもそもゲーム『メタルギアソリッド4』をプレイしていてその興味で買ったものだった。
もちろん、だから楽しめたということもあるのかもしれないが、私が小説を読んで印象に残ったのは、人の死の描き方、そのイメージの鮮明さというか、読んでいてゲームで表現された(もちろん、ゲームでそこまでグロテスクに表現しすぎることができないということもあるが)イメージよりも、小説の文章を読んで脳内で再生されたイメージの方がなぜか生々しく、リアルに感じた。例えば、(ゲームをプレイされた方はより分かると思うが)冒頭のPMCと民兵の戦闘シーン等。
また、それだけではなく、私が伊藤さんの小説の好きなもう1つの理由である技術についての描き方も、とても細かく描画されていて(これはもちろんメタルギアという作品そのものの特徴でもあるが)面白いと感じた。

そこから、伊藤計劃さんの作品に興味をもち、以下の3作品を読んで完全にはまった。
(ただ、そういっても、伊藤さんの全作品を読んでいるわけではないが)
・『ハーモニー』(ハヤカワ文庫)早川書房(2014)

ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

・『虐殺器官』(ハヤカワ文庫)早川書房(2014)
虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

・『屍者の帝国』(河出文庫河出書房新社(2014)

これらは、アニメとして映像作品化もされている(私自身の感想としては、もし見るのであればアニメの方から見た方が良いと思う)。

しかしながら、今回挙げた各小説の巻末に触れられているように、伊藤計劃さんは2009年3月20日に34歳の若さで亡くなられた。
そのため、『屍者の帝国』は「原稿用紙にして三十枚ほどの試し書きと、A4用紙一枚ほどの企画用プロット、集めはじめた資料が残され」(同書 p518 「文庫版あとがき」より抜粋)たものから円城塔さんが書き上げたものとなっている。

メモ書き #0

メモ書きのメモ

この「メモ書き」のカテゴリは、とりあえず思ったことを残すものとする
間違い(もちろん捏造などそういった類のものは論外)や、時間が経ったりして考えが変わるものもあるかもしれない。しかし、まずは思ったことなどを残しておき、もし、固まっていくのであれば、メモ書きカテゴリではない記事にすることもあるかもしれない。